「こども」を漢字で表すと…
| Q 北風 冗 |
「子供」という漢字表現についてどうおもいます? 以前あるところで講習を受けたとき、 「昔は神に子どもを供物としてささげていたので『供』の字をあてるようになった」という話をきいて、 少し考えるようになってしまいました。 この話がほんとかうそかはわからないですけどね。 でも『子ども権利条約』などでも「子供」という表現はしないようになってるらしい・・・ とはいえ新聞・TVなどでも平気で使ってるし、○○子供会ってのもいっぱいあるし。 正しいとか間違ってるとかそうゆうのじゃなくて、使う人の考えかただし、 言葉にしてしまえば発音は同じ「コドモ」だしね。 「供」という字にもいい意味があるだろうし、皆さんはどう考えます? なにしろ自分たちのやってる活動にしろ、当の子どもたちしろ、 みんなナマモノだから5年・10年前には正しかったことがいつのいまにかだめになったりしてるでしょ? (飯ごうひっくり返してたたくとかね・・・) むずかしいですねぇ。 |
(上の書き込みに対する返信)
| 1 よっちゃん |
「子供」という漢字への定義ですが、言葉には必ず意味があります。 そして、昔の人は言葉の持つ力(霊力)を「言霊(ことだま)」と言い表しました。 口から発した言葉は、必ず相手に影響を及ぼす。だから、軽はずみな発言は避けるべきである。 口を開く時は、自分の発言に責任を持たねばならないという意味を込めての事です。 さらに文字にも「御霊(霊力)」は宿り、言霊とおなじ意味を成します。 昔から暗号が多く使われたのは、 言葉に込められた「言霊」によって相手に真意を悟られる事を防ぐ為だったのです。 漢字に込められた「御霊」は「成り立ち」という物に置き換えられます。 同じ読み方の単語に違った漢字を用いるのも 、字に書き順があるのも、全て文字それぞれに意味があるからなんです。 「子供」も例外ではありません。 今では「こども」という音だけが一人歩きしている感があります。 真意を知らない者達、知ろうともしない者達。 真意を探求することは世界が無限に広がることであるにもかかわらず。 「子供」という言葉の真意を探った時、 「子」というのは自分自身の息子や娘を表す言葉です。 そして、「供」という言葉は、供養ではなく「お供をする」という意味の「供」です。 「子」という字は単数形であり、「供」は複数形を現す接尾語です。 「子」が複数(二人以上)いるから「子供」なんです。 今では一人でも「子供」と呼びますが、昔は一人の場合は「子」と呼び、 複数の場合に「子供」と呼んだのです。 北風さんの言う説は、言葉の真意を間違って解釈した人間たちが残した言い伝えに過ぎません。 円周率が『約3』になる現代に、真意を求める世代は育つのでしょうか。 小数点以下、一桁。たった一桁を計算して一生を終えた数多の数学者達。 彼等への尊敬の念は何処へ行くのでしょう? 数字ひとつにさえ意味はあり、それに人生を賭けた過去があるのです。 皆さん、言葉を大切にして行きましょう。 僕は日本語は『芸術における表現の可能性』としては他に類をみない 懐の深さを持つ言語だと信じてやみません。 こんな言葉の乱れた世でも ほんの少し、調べれば解ることも多いのですから・・・。 |
| 2 北風 冗 |
ほぉぉ!なるほどねぇ。なんか「ニライカナイ」みたいだ。 たしかに発言に責任持つのは当然だし(文字としても) 「子供」に対して何か言ったときの影響力ってのはすごいからね。 言ったらアカン事言って落ち込んでるリーダーも(子供も)いるけど。 お偉いさんのように「ウッカリ」発言には注意しないとね。 それが責任を持つって事だし。 物事の本質って考えてる人意外に少なくて、 言葉の意味に限らず『なんで「ファイヤー」をやるのか』とか、 『なんで班行動させるのか』とか考えて行動しないと、 「去年もやってたから」のマンネリになっちゃうしね。 ゲームひとつとっても、初対面の子達が仲良くなるようなゲームとか、 チームで協力させるためとか意味があって、 それで俺たちリーダーがアホな踊りしたり変な歌うたったりしてるんだしね。 新しく活動するリーダーさんには、始めは『楽しそう』でいいけど、そのうちこういうことも考えてほしいなぁ・・・って話がぜんぜん違うほうにそれてしまいました。ごめんなさい。 よっちゃん!ありがとう。 ぜひほかの皆さんの意見も聞かせていただけるとありがたいです。それでは。 |
| 3 よっちゃん |
ええと、「子供」という言葉の真意を探るとこうなるわけですが・・・・ もし仮に、北風さんの言う「子を供物にしていた」というのが本当に行われていた事だったとしたら、 みんなはどう考えますか?? 実は、漢字の語源になったかは別として、 仏教的な面から見れば子供や女性を生贄に差し出したという言い伝えは全国各地に存在します。 やはり北風さんと同じように、「忌まわしき過去の出来事」と解釈し、 それを忘れ去ろうとする人も多いでしょう。 しかし、僕は究極の前向き思考なんで、そうは考えません。 これはまあ、仏教徒である僕の一説という事になると思いますが・・・・・・ 本来「神」と崇められる存在は、それを 崇拝する人間にとっては「神聖で偉大なる存在」です。 それは、数々の犯罪的宗教団体の長がそうであったように、 その存在が世間一般で「悪」とされている存在であっても同じ事です。 その「神聖で偉大なる存在」への供物がなぜ子供だったのか。 その真意を探ってみるとどうなのでしょうか。 それは子供が「純粋で汚れ無き宝」であったからです。 確かにその行為だけを見れば残酷極まりない行為です。 しかしそれは、子供が純粋で汚れ無き宝として大切にされていたという 時代背景があるからなのです。 果たして、現代の世の中に「子供は宝である」という考えを持った人がどれくらいいるのでしょうか。 被害者どころか、子供が加害者になってしまっている凶悪犯罪の多発。 一番大切にしなければならない自分自身の子供ですら虐待・殺害をしてしまう親。 これから先、日本社会全体が良い意味での「子供は宝である」という考えを 持たなければならないのではないでしょうか。 |
| 4 ぽんず |
なんだかみなさん難しい話してますね。 「コドモ」の言葉について・・・ 「コドモ」は知ってのとおり「子供」と書きますよね? 私は、先輩から「子供」と書くな!と厳しく言われてました。 それは、『おまえらドモ』のような見下した意味を連想させる恐れがあるからです。 宗教的な意味もあるんだろうけど、やっぱりコドモを見下したように考えてしまうのは悲しいです。 だから私は「コドモ」と書くときは「子供」ではなく、「子ども」と書くようにしています。 語源がどうか、も気になりますが、 「子ども」と漢字で書くときにみなさん注意して考えてみるのはどうでしょう? |
| 5 よっちゃん |
>ぽんず 君の先輩が言う「おまえらドモ」などという意味の「ドモ」は「共」という漢字です。 この漢字は昔から「者共(モノドモ)」とか「犬共(イヌドモ)」など、 身分が格下の家来や、家畜である動物に対して使っていました。 ですから、子供に対してこの「共」という漢字を使用したという歴史はありません。 しかし、本当に「物事の真意」を知ろうとか、真意という物への関心を持たない人が増えてますね。 その先輩にしても、「そう連想させる」という考えだけで、それを使うなと教える。 そう連想してしまった時、その連想が正しいものであるかを確かめようとしない。 連想はあくまでも「想像」であり、真実ではありません。 真実を確かめようともせず、想像だけで人に物を言う。 自分の言う事が真実なのかを確かめもしないのは、 人を育てる立場の人間としては相応しくないのではないでしょうか。 そういった大人が増えてしまっているから、 子供達が間違った方向に育ってしまう事が多いんです。 例え悪い連想をしてしまう言葉であったとしても、 それが正しい言葉であるなら、それを使っていくべきです。 そして、その連想や想像が間違った物である事をきちんと教えて行くべきです。 ぽんずもそうだよ。 先輩や先生から言われた事を、そのまま鵜呑みにしてしまう。 確かに教える人間が正しい事を教える事は当たり前の事です。 でも、今の世の中は悪い物が良い物としてまかり通ってしまう時代。 上からの教えが必ずしも正しい物だとは限りません。 それに、正しいとか間違ってるとかじゃなくて、 人からの教えが全てだと思ってしまったら、人間として成長できないですよ。 周囲から入ってきた情報を自分の物にする為には、 その真意だとか正確性を自分自身の手で確かめるという事をしないとね。 例えその真実が今の世の中では通用しない物であったとしても、 それを知る事で人間としての知識の幅は格段に広がります。 それが出来る人間は、知識が豊富で人間性の豊な人間です。 子供という純粋で多感な時期の人間に接するわけですから、 豊な人間性を持った大人になって下さい。 |
| 6 さとる |
「こども」の表記について話題になっていますね。 私が聞いた話では、 「お供をする」という「供」であり、付属しているようだから良くないだろうということで、 「子ども」と書かれていると聞いています。 そもそも子どもの人権関連の話だったようです。 恐らく、子どもの権利条約あたりから気にされるようになったのではないでしょうか?? 確証ではありませんが…。 詳しく知っている方いらっしゃいましたら、教えてください。 ちなみに僕も、ぽんずさんのように「子ども」といつも書いています。 でも、お供をするという意味合いが正しいのであれば、 やはり、私は「供」を使うべきではないと考えるのですが。 昔からの意味を大切にしていくことももちろんですが、 時代の流れをよんで、合わせていくことも必要だと思います。 |
| 7 みっしぇ |
「供」という漢字は小学1年生では習わないからという説を聞いたことがあるよ! |
| 8 あずさ |
「子ども」 あずさは326(イラストレーター)がいっていた子どもの意味がいちばんしっくりくると思ってます。 子どもは1人ではなくたくさんの集団で生きて行くからという意味で「子供」 大人というのは1人で生きていかなければならないので大人という みたいな感じの事を言ってました。 微妙ですね。うろ覚えなのでまた詳しくわかったら載せます。 やはりあずさは「子ども」と書くほうが個人的には好きです。 |
| 9 あにぃ |
「子ども」は間違った日本語だ!…というHPを以前どこかで見ました。 (結構過激な論調でした) 今職場なんでちょっとアドレスは分かりませんけど... みっしぇのいうとおり、「供」は小学一年生では習わず、六年生で教わります。 それはなぜかといえば、そのHPでは、 子どもに「子供」という熟語を見せない・教えないようにしているのだ! …とか書いてあった気がします。 よっちゃんが書いているとおり、言葉として正しい日本語を使い、伝えていくことは大事だと思います。 ただ、時代とともに移りゆくのも言葉。 それぞれ、時代・時勢による個々の価値観によって、ある程度言葉がこなれていくのも仕方ないのかな、とも思います。 みなさんは、「子ども」と「子供」、どちらを使いますか? #あにぃは「子ども」を使うようにしていますが。。 |
| 10 ひろ |
実は今子どもの遊びの環境の変化について卒業論文を書いています。 ちょうど子供と子どもについて議論されていたので、書き込んでみました。 面白いことに、子どもに関する文献や統計資料を眺めていてもそれらでは、 「子ども」という表現が使われています。 また最近は、あまり”子供”という表記は見られなくなったような気がします。 やはり社会の変化なのでしょうか。 私も「子ども」の方を使うようにしています。 |
| 11 北風 冗 |
「こども」について言い出した者として、いろんな方の意見を知ることが出来てうれしいです。 結局、何も考えずに「子ども」なり「子供」という字(言葉・単語)を使うのではなく、 それぞれが意味を理解したり語源を信じたり、 また各人の意味付けをした上で使っていくことになるのでしょうかね。 日本語として正しいかどうかだけでなく、我々の活動として一つのチャンスとして。 子どもにたいしての文章で、ルビ振ったりひらがなになおして文作ったりすることもあるでしょうし、 今後大事なのは、若いリーダーやジュニアリーダー、会の会員に、 なぜ自分が「子ども」「子供」という字を使っているのか、 また世間で漢字表現が使われていない理由、本来の字の意味などを、 考えて使っているんだと教えて(伝えて)いくことではないでしょうか? 立場的に「使え」「使うな」というのは簡単だけど、意味を伝え、 本人に考えさせて使わせるようにするのが俺達の役目だと思いますし。 奥が深いねぇ日本語って・・・ |
| アトム | 面白そうな話題なので参加させてね。 「子供」:神に供え「人・人間」とはしない。 「子ども」:「人・人間」の未熟なものとする。 といったように「供」1字で人ととしてとらえるのか否かということらしいぴょん。 |