イベントの成功とは??

Q
よっちゃん
イベントが成功したとか失敗したとかってよく言うけど、判断基準って何?
計画通りに進行できれば成功で、計画通りにいかないと失敗なのかなあ。
極論を言ってしまえば、計画がどうとかなんてジュニアだけの都合なんだよね。
子供のためのイベントなんだから、子供が楽しめてれば、終わった時に「楽しかったからまた来たい」って言ってくれればそれでそのイベントは成功なんじゃないかな?
逆を言えば、計画通りに進んでも子供が楽しくなかったらそれは失敗だと思うけどなあ。
ゲーム一つ一つの進行が手際よく出来たかとかって、イベントの成功とかではなくて、個人個人の課題なんじゃないかな?
ようは、全体的な完成度の問題じゃないかな?
子供が楽しめればイベントはそれで成功。
あとは個人個人の課題の克服や、全体的な完成度を高めていく事が重要なんじゃ無いのかな?
イベントの結果だけで反省材料を見つけようとしてはまずいんじゃないかな?
それだけを判断基準にしちゃったら、個人個々人に細かなミスがあったとしても、イベントが成功だった場合にそれを見つけ出す事ができないのではないかな?

(上の書き込みに対する返信)


どんぐり
イベントは、
計画を立て、実行をして、反省をして、足りないところを補って(良いところは更に伸ばして)、
再度計画を立てる・・・。
そう思うと計画通り(計画の内容にもよると思いますが)ならイベントは成功だと思います。

子どもが楽しめればそれで成功?
たしかに楽しくないより楽しいほうがいいですが、できない悔しさ、負けたときの悔しさ、も大切にして
できなかったことが始めてできたときの満足感みたいな(文章表現力が足りないのでごめんなさい。)そんなことも大切だと思います。
安易な”楽しければ成功”は少し危険だと思います。

例えば、小さな子が勝てるような特別ルールを作ると、その場はいいように思いますが、その遊びの本質も変わってしまうような気がします。

よっちゃん
僕が言いたいのは、参加するサイドと運営するサイドで成否の判断基準が違うという事です。
運営するジュニアは、計画・実行・反省の繰り返しですから、それが出来たかを基準に判断します。
しかし、参加するサイドは「子供にとってどんなイベントだったか」を基準に判断し、
ジュニアに対して批評をするんです。
つまり、ジュニアとしては満足してはいけない内容だったとしても、
周りからは賞賛されてしまう事が多々あるんです。
それを真に受けてしまうと、「成功したからこれで良し」と
勘違いしてしまう危険性があるという事なんです。
周りの評価を気にする事自体がどうかと思いますが、
判断基準の違いを理解していれば、それに惑わされる事がなくなるのではないですか?

「楽しい」と「面白い」は違います。
どんぐりさんの言う悔しさとか満足感とか、全部ひっくるめて体感する事が「楽しむ」という事です。
ただ面白おかしくワイワイやるのは、楽しんでいる事にはなりません。
どんぐりさんの言う「楽しければ」というのは「面白ければ」だと思います。

計画・実行・反省・・・・これは重要な事です。
でも、それができれば成功であるとは思いません。
重要なのは「誰のためのイベントか」と言う事です。
イベントの計画とは「対象者」にあわせて行う物です。
子供のイベントで座って遊ぶ物ばかりではおかしいですし、
高齢者のイベントで動き回るゲームを選ぶのもだめです。
イベントの中心となるのは、あくまで「対象者」である「参加者」なんです。
そういった人たちの感情を無視して、計画の遂行だけを考えてしまってはいけないのでは?

りょうり
対象者(参加者)の感情を無視して、計画の遂行・・・。
は計画そのものが失敗なのではないのかなぁ?
計画とはよっちゃんの言うように、常に対象者の事を考えて立てられるわけで、
計画どうりに遂行できても、参加者に受け入れてもらえなければそれは実行以前の問題だと思いますし、
成功とは、誰も言わないんじゃないでしょうか?

それと、運営側の楽しいと、面白いには違いがあっても、
子どもの言う楽しいと面白いってそれほど違いがないと思うけれど、子
どもの楽しかったって意見も真に受けすぎると危険かもしれないと思うなぁ。
確かに子どもの為のイベントではあるけれど、
JLの行うイベントは、子どもが楽しむだけのイベントではないと思うよ。
楽しみながらというのが非常に重要な要素であることは確かですけど。

あと、「成功したからこれで良し」は思考自体が危険だと思います。
現状に踏みとどまることは後退、衰退を意味すると思うけどなぁ。
完璧なんてありえないんだし・・・。

よっちゃん
それは、JLが主催しているイベントの場合だよね。
でも、依頼を受けて行っているイベントは、子供のためのイベントであって、
JLは子供を楽しませる為だけに存在するのではないかな?

「成功したからこれで良し」はかなり危険です。
僕が言いたいのはそうなる危険性がある事を十分に認識する必要があるという事です。

確かに計画そのものが失敗である事もあります。
でも、計画通りに遂行する事だけにこだわらず、臨機応変に対応する事も必要なのでは?
ゲームを始めてもほとんどの子供がのってこない。
つまらないとかやりたくないとかの声があがっている。
それでもそのゲームを続ける事が良い事なのかな?
反応が悪かったら違うゲームに切り替える柔軟性も必要なんじゃないのかな?

りょうり
依頼をしてくる団体は子ども会だよねぇ?
少し前に議論があったけど、子ども会が、子どもを楽しませる、
子どもにとって楽しい事だけをよしとしている団体じゃないから主催が何だろうと一緒だと思うけど。

JLはあくまで子ども会のリーダーであるはずだから、
子ども会のリーダーの存在が子どもを楽しませるだけってのは
どんな場合においてもありえないんじゃないのかな?
現実的に楽しませてるだけの場合もあるけど、それだとうちでは悪くないって程度の評価になるなぁ。

あとJL主催ってのがいまいちピンとこないんだけど、
JLの活動は子ども会が主催じゃないの?
JLの育成も子ども会の事業の一環じゃないの?地域によって違うのかなぁ?
そこらへんの地域格差を理解しないと、話がすれ違いになりそうだなぁ。

具体的にJL主催イベントってどんなんでしょう、あまりに基本的すぎる質問かも・・・。

よっちゃん
JLが主催のイベントというのは、イベントと言うよりも「イベント実習」です。
JLに経験を積ませる為に催されるイベントという事です。
自分たちで計画し、参加するのも自分たちである。
そうでない場合と言うのは、依頼を受けて行うイベントです。

依頼を受けると言う事は、相手は僕たちに結果を求めている事になります。
養成段階にある組織であったとしても、それなりの成果を期待しているから依頼するわけです。
そういった場合、どんな形であれイベントが失敗で終わる事があってはいけないんです。
例えプログラムを崩す事になっても、修正を加えながら最終的には無事に終われるようにするべきです。

「計画してやりました。でも失敗しました。計画の立て方が悪かったみたいです。」
ではまりにも無責任だし、参加している子供たちがかわいそうです。
それよりも、
「計画通りにはいかなかったけど、なんとか無事に終わりました。この経験を今後に活かします。」
の方が良いと思います。

やり終えてから悪い部分を考えるのではだめだと思います。
やりながら修正を加え、回数をこなす毎に修正する度合いが減るようにしていく。
この方が臨機応変に対応するという経験にもなるのではないですか?

りょうり
>やりながら修正を加え、回数をこなす毎に修正する度合いが減るようにしていく。

これについては,まったく同意見。そのとうりだと思う。
計画に固執して悪い結果を招くなんてけっこう最悪の部類かもしれないと思う。

地域の違いやね、こっちではJLに経験つませるイベントも、子ども会主催があたりまえなんです。
JLは子ども会の会員で、育成も子ども会の責任で行われるから。
僕らとしては育成依頼をもらわないことには勝手に育成も出来ないんです。
ボラ団体だから当然だけど。

もちろん、JL育成は単一子ども会なんて小さな単位では育成してないけどね。
逆に市の単位ほどでかくも無いけど・・・。

依頼を受けるのは相手は確かに結果を期待しているから、
ある程度の結果は出さなくてはいけないと思う。
だけどその期待する結果が子どもにとって楽しいだけのものだとしたら、
依頼団体の子ども会というものへの認識不足だと思うなぁ。
まぁ相手のあることだし、長くやってる人の方が少ないから、
仕方がないといえば仕方がないけどね。

地域の違いは複雑だから現場じゃないとわかんないことも多いんだろうな、
色々な状況を知るのはおもろいし、勉強になってなんかよいね。

よっちゃん
まあ計画と言う意味では、厳密に言えば「ある程度の修正を加える」という事も
最初から計画に入れるべきなんだろうけどね。
ゲームが不評だったり時間が余ったりした時のために予備のゲームを用意しておく事も必要だしね。

結果が子供にとってどんな物かと言う事は、イベントの趣旨によって違うと思う。
例えばキャンプとお楽しみ会ではイベントの趣旨自体が違っているよね。
そのイベントの趣旨によって求められる結果も違ってくるんじゃないのかな?
何も得る物が無い楽しいだけのキャンプは良くないと思うし、
純粋に楽しむ事ができないお楽しみ会もどうかと思う。
イベントの趣旨を理解しておかないと、一概に結果の良し悪しを言う事はできないんじゃないかな?