突然ですが・・・私はJLは必要ないと思います。
子供がしっかりしているなら。
子供会を子供が自分達で動かしていけるなら良いんです。
歓送迎会もレクリエーションも運営して、あとはインリーダーも企画したらなお良い。
でもそれってちょっと厳しいでしょ?
そこで、JLはそういう運営の手伝いをしたり、インリーダーのプログラムを立てたり・・・というのが本来のJLの在るべき姿だと思います(もちろんあくまで私の考えです)。
・・・前回の「JL不要論」の最初の部分です。
私は実はここを強調したかったんですが・・・伝わりづらかったようです。
いろんな反響を受けましたが、その多くが、「なぜその議論を?」とのことでした。
というわけでその部分を突き詰めてみようと思います。
前回も書いたとおり、依頼として良く来るのは、「歓送迎会でのゲーム」、「インリーダーでのゲーム」というのが大半です(少なくとも私のところは)。
ただしそれじゃJLは単なる「ゲーム屋」です。
前にも書いたとおり単なるアクセントです。
それを子供の企画ならいいですよ。
子供会は子供のもの、子供達が立てた企画なら喜んで協力するし、単なる「ゲーム屋」でもいいですよ。
ただし最近の子供会は、実質企画を立てているのは育成会です。
育成会から依頼を受けるということは、育成会が企画を立てる段階で、JLにゲームをお願いするということです。
書いてるほうも難しくなってきそうなので話を変えて・・・
もしも子供がしっかりしてるならという話をしてみましょう。
もしも子供がしっかりしてるなら・・・
歓送迎会の企画を立てる際、プログラムを立てて、ゲームとかもどうするか決めて、「ゲームちょっと説明できないな・・・」となったら、ゲームが出来る人にお願いして、当日その人にゲームを任せると・・・
育成会が企画を立てる場合・・・やはり同じ流れ。
違うとしたらJLに自分達が出来ない部分(ゲームとかね)を手伝ってもらうくらい。
JLはこの場合育成会に、「ゲーム屋」、あるいは「便利屋」として事実上利用されていることになります。
つまり会の運営のパーツの一つでしかない。
でもそれはあまりにも幅が狭くありません?
だってゲームとかはうまくやれる人に頼めば良いじゃないですか。
JLをうまくゲームをやれる専門家としてしかとらえられないのはJLの活動幅を狭くしてる。
それから子供会と名乗るなら育成会が企画するんじゃなくて子供が企画するべきでしょ。
育成会が企画を立てるならそれは「大人会」じゃないか。
でも子供が企画を立てても、未熟な部分はありますよ。
その未熟な部分を補うために、JLが必要なんです。
ということで冒頭の文章に戻るというわけ。
JLは「ゲーム屋」としては必要ありません。
子供会をいろんな面で支える、「アドバイザー」として必要なんです。
だから子供がしっかりしてるなら、JLはいらないというわけ。
ただこれでも分かりにくそうだなぁ・・・
(トライ)

トライ君の言いたいことは
すごいわかる、たぶん おそらく
絶対にJLCは育成団体として産声を
あげたから、ゲーム屋ではいけない。
ただ地域格差ってあると思うし
代々受け継いだ団体の個性って
あるしね。
実際、わっちがいた横浜のたった
1区の活動も同じレベルの事が出来る
JLCってわずかだと思うし、逆にリスペクト
するべきJLCもある。
ゲーム屋としてしか活動できないとか、
ゲーム屋がJLCの活動だと思っている人が
確かに多いと思うし。
子ども会自体が減っている今日、ゲーム屋
とかのJLCは自然に淘汰されていくから。
その時に協力なりアドバイスをすれば
いいかなと思っています。
地域格差、団体の個性、それは分かります。
ただしそれを理由にしていてはいつまでも変わらない。
淘汰されていくのを受動的に取るのではなく、能動的に変えていってもらいたいです。能動的に行くのと受動的に行くのでは全然流れは違いますから。
言いたいことは分かるけどさ、自分の考えはサザンさん派かな?トライの考えには賛同できない。
団体にも個性もあるし考え形も違うと思うからイキなりジュニアは廃止は絶対おかしいはず。
運営も行政が運営しているところもあるし、町内が運営している所もある。検討の余地はあるが、今そんな考えをネット上に公開すべきでない
逆に今のジュニアにマイナスイメージ与えるだけ。
何も廃止を前提に考えてこういう文章を書いたんじゃないんです。
ただJLの位置づけを考えた時に、JLは単なる「ゲーム屋」として存在するものでもない。むしろ子供会の主役である子供が、何かを考える時にアドバイスする立場になるべきだと思います。
子供がアドバイスを聞かなくてもやっていけるのならJLは「ゲーム屋」でもないんだから存在する価値はないということです。
でも子供は未熟ですからJLのアドバイスは必要です。だからこの不要論は、逆を言えば必要論なんです。
トライの言いたいことを一言でまとめるとすれば、
『子どもが自分たちで企画して、JLはそれにアドバイスをする役割に徹することが出来る子ども会活動に変えていこう』
っていうことだと思います。
「JL不要」という言葉を使っていても、本気で「JLは不要」と思っているわけではない。
・・・・という理解でいいでしょうか?>トライ
そう考えると、ちょっとタイトルが過激というか誤解を招く言葉だったかもしれないですね。
でも、それってつまりは「子どもの手による子ども会」。
もうかなり昔から言われていることです。
全子連もずっと言ってきてるし、同じことを思っている青年リーダーや指導者、育成者も全国にたくさんいるはず。
なのに、なんでそれが浸透してないのか。
そこまで考えないと、何も解決しません。
「能動的に変えて」いきたいという思いを持つ人はたくさんいるのに変わらなかったわけですから、
個人の考えだけでは変わらない、システムとか構造の問題があるはずです。
この問題って本当に難しいですよね
私は、その地域のジュニアリーダーが目指しているものに準ずる活動をしているのであれば『必要』でいいのではないかと考えます
サザンさんやぺいさんのおっしゃっている通り、ジュニアリーダーというのは地域によって成り立ちやルールは千差万別だと思います
(実際私の地域ではジュニア、シニアの区別はありませんし、初級、中級、上級なんて区別もなく、五十年の私たちのジュニアリーダーの歴史の中で全国大会とか地区ブロックとか、そんな案内が私たちの地区に来たことすらありません)
数あるジュニアリーダーの組織の中には『ゲーム屋』を本分として誕生した地域もあると思います
レクを中心に考えて子ども達を楽しませる事を通じて自分も成長していく事を主体においてるのなら、それでも立派に活動意義がありと私は考えます
もちろん、こどものこどもによるこども為のこども会のお手伝いの為にジュニアリーダーが存在する地域はもっと素晴らしい事ですよね
ただ共通していえるのはこのサイトに顔をだしている方々みたいにその方法や理論はちがっても子どもやJLに情熱をもって活動しているという事でしょう。
そういう組織なら『必要』だと考えます
この トピに反応している人の多くは すでにJLの本質を見抜いている方が多いように思います。
皆さんがおっしゃって見えることの多くは JLの活動の本質としてゲーム屋的な活動ではなく 大切なことは子ども会活動の 子どもたちと大人たちの中間に位置するプロデューサやデレクターとしての役回りです。
子ども会の理想とするところは 子どもたちが行事やイベントを考え、それを計画し実行していくことですが、現実にはそれらは ほとんど不可能で、前年度以前から続いている継続行事や、伝統イベントへの参加が子ども会行事のほとんどだと思います。
年度交代の育成者の多くも、継続行事が遂行できれば良しとし、JLに求められるものも行事の司会者だったり、ゲーム屋だったりするわけです。
そんな現状を見るとき JL不要論というトライの思いは理解できるところもあります。
子ども会のアクター(役者)は子どもたちです。
子どもを見守る保護者は 観客でしょうか?
しかし、子ども会の理想は アクター(役者)である子どもたちの作文や、台本を基にしてオリジナルに演じる劇を作っていきたいのだけれども、育成者や指導者からは 演じて安心できる 「桃太郎」や「おおきなかぶ」、「浦島太郎」といったスタンダードな演目を与えられ、大人の育成者や指導者が監督となって 舞台演出がされているのが、現在の子ども会の姿ではないかと思います。
地域子ども会の中にあってJLがどこに位置するかは大きな点ではありますが、JL自身がプロデューサーやデレクター、あるいは行事やイベントの助監督になれた時JLは大きく進歩するのではないでしょうか?
子どもたちが考えた ストーリーもめちゃくちゃな作文のストーリーを JLたちが
若い感性で脚色し、大人たちの考えるスタンダードな物語から ちょっと変わった物語を演出できるようになった時 JLは不要な存在ではなくなると思います。
それは 「桃太郎」ではなく「柿太郎」であったり、「浦島太郎」ではなく「浦島次郎」であってよいのだと思うのです。
トライさんがいう「子ども会役員等が企画立てする」ということもある程度はわかります。
しかしそうでない場所も実在しています。
役員と子ども+JLの話し合いや、ある程度は役員の方が決めているのかもしれませんが子ども達+JLの話し合いということもありました。
現在の状態を考えると、依頼の内容は「レクゲーム」が殆どということは間違いないです。
しかし、最近では私の地区では「怖い話(怪談話系)」や「肝試し」という依頼が入ってます。
怖い話は子どもでもできるかもしれませんが、肝試しの準備とかでは役員さんのみでは足りないということもあります。
JLが「便利屋」といえばそうなるかもしれませんが、あくまで企画の補助となるのでそういう風に見るのは間違いではないかもしれません。
私の地区の話になりますが、最近では子ども会内での引き継ぎもあまり行われてない場所もあるようです。
私たちが行ってから、企画立てを1から考える子ども会もあります。
企画立ての時点で子どもがいればいいかもしれませんが・・・
そのように考えるとJLはなくなると役員の方々も困るのではないでしょうか?
ネットから遠ざかってる間に、いろいろ激論が交わされてますね。
いまさらかもだけど・・・
トライの言う不要論は名古屋ではとっても一般的な考え方です。
名古屋市の場合は高校生以上が子ども会ボランティアという立場で活動しているので、JLではありませんが、今から少なくとも40年以上前から、「子ども会ボランティアの最終目標は、子ども会ボランティアが不要になること」という考え方があります。
子ども会は子どもによる自治集団であるべき・・・という理想が実現されれば、その子ども集団に介入する大人は不要になるのは必然です。
完全自治が実現できれば、その子ども集団は、大人の各種団体と同位なものとして、地域におけるパートナーのひとつになります。
子ども会ボランティアは、自治組織を運営し、かつ後継者をも育成できる子ども集団を作り上げることが理想であり、そのために存在するはず・・・ですが、現実的には子ども集団にそれほどの力はありません。
故に、指導者と育成会、子ども集団の三者の総称を子ども会として、大人や青年指導者も含めて子ども会が組織されています。
現在、問題というか、課題というか、看板に偽りありになっているのは、子ども会の理想が子どもによる自治組織の運営だという認識を、子ども会関係者の多くが認識していないということだし、そもそも子ども自身が、自分達の自治集団を本当に望んでいるかもよくわからない、にもかかわらず、相変わらず何十年も前の子ども会の目的や理想が見直されないってことじゃないかなぁと思います。
会の目的や理想に照らし合わせれば、現在行われている子ども会活動が、子どもの自治集団に向かっていないことは多々あるわけで。でもそれは、企画や活動をしている育成会やJLに問題があるっていうよりは、そもそもその目的や理想自体が、今の時代背景にあっているのか、また子ども達が本当に望んでいることなんだろうか、という議論がされていない所に問題があると思うし、その議論をすることもかなり厳しいのが現状だってことですね。
大勢の人が関わってるし、そうでないと成り立たない活動であり、組織であるので、どうすると関係者がその議論のテーブルについてくれるかってことを考えたいなと思ったりします。
連続ですいません。
トライの問題提起で気になることが一つあるんだけど、
子ども会組織自体全国でバラバラだから、JLの位置づけも地域によってぜんぜん違うって前提をしっかり踏まえないと、話が広がりまくると思うよ。
名古屋はまた、凄く特殊だから置いとくとして、
一般的に、18歳までは子ども会会員であって、「子ども」ですからね。
JLってのは、本来子ども集団の内部組織。
JL=子どもの代表連
って事だと思う。
全国的にJLに依頼が来る!みたいなのが普通っぽいけど、
本来の形からいけば、JLは会員の一員なんだから、依頼されるって形がそもそも不思議な形態。
生徒会が生徒会執行部に依頼っておかしいよね・・・
執行部は生徒会の一部なんだから。
生徒議会が執行部に依頼ならまだわかるけど。
子ども会の組織ってその辺も含めてとっても不思議がいっぱいなんです。しかも、地域によってホントに違うから・・・。
子ども会やJLを議論をするときに、最初に大事なのは、言葉の定義をとりあえず何かに決めて確認しないと、同じ言葉でも一人ひとりが思い浮かべるものが全然違うってことです。
トライは自分をJLだと言うけれど、僕の活動しているところではJLは小学5、6年生を言います。また、大学生や社会人も含めてJLって言うところもあるし。JL意外にもきっと言葉の認識違いがいっぱいあると思うよ。